フォトグラファー武藤奈緒美の「みる」日々

オリンピックで思い出す

こんにちは。フォトグラファーのむーちょこと、武藤奈緒美です。
開催の是非が分かれた東京2020でありますが、私が真っ先に思い出すのは1984年のロス五輪です。初めてオリンピックというものを認識しさまざまな競技をテレビで見たはずなのに、記憶に残っているのは体操競技だけ。それくらいこの競技は10歳の私に強烈なインパクトを与えました。

体操男子で具志堅幸司選手が個人総合で金メダルを獲得、森末慎二選手は鉄棒で10点満点を連発。ですが私の心をわしづかみしたのはそこじゃなかった。
女子個人総合、ルーマニアのサボー選手とアメリカのレットン選手が首位争いをし、レットン選手が金メダルを獲得。パワフルな演技を披露した彼女は「ゴムまりレットン」とあだ名されましたが、子ども心に私はサボー選手の力強さだけではないエレガントな演技の方にうっとりし通しでした。

それから体操競技のテレビ放送があると必ず見るようになりました。ヨーロッパで世界選手権が開催されるときは深夜に起き出し、我が家にビデオデッキが導入されてからは録画して繰り返し観戦。
そうしてひたすら演技を見る中で知ったのです、政治的な事情でロス五輪にソ連が不参加だったこと、そのソ連が世界の体操の潮流を担っていることを。ソ連の演技には技の素晴らしさ・完成度の高さと同時にクラシック・バレエ由来なのでしょうか、優雅さがありました。そして憂いも。美しい演技を見ているのが楽しかった。新聞の体操記事を切り抜いてスクラップノートを作り、それを繰り返し眺めるのも楽しかった。

1988年のソウル五輪。ソ連のシュシュノワ選手とルーマニアのシリバシュ選手の個人総合一騎討ちは今でもはっきりと記憶しています。私は、高難度な技のみならず独創的な技やコミカルな動きを演技に盛り込み、新しい世界を見せてくれるシリバシュ選手贔屓。
対照的にシュシュノワ選手は、優勝争いの中でも表情がほとんど変わらず淡々と演技をやってのけ、王者の如き重厚感がある。
最後の跳馬、0.0以下の点差での争い。シリバシュ選手の演技が終わり、シュシュノワ選手逆転優勝の可能性はあるけれど、着地が一歩でも乱れたらアウトというような相当プレッシャーのかかるであろう最終演技で、やっぱり眉一つ動かさず彼女は着地をぴたりと決め見事10点満点を叩き出しました。優勝が決まったときに見せた、嬉しいというよりも安堵というニュアンスをたたえた笑顔にはっとしました。感情を爆発させないのが当時ソ連の選手に抱いていたイメージで、それは国家そのもののイメージにも繋がっていました。

次の1992年バルセロナ五輪、私は浪人生でした。ソウルからバルセロナにかけて世界情勢が激変。1989年にルーマニアに革命が起こり、その後ソ連解体。世界史を専攻していなかった私は世界の成り立ちや情勢に疎く、社会主義国家が民主化するとか共和国がそれぞれ独立して一国家になるとかいうことがまるで理解できていませんでした(今も理解できているかどうか・・・)。
あの選手たちはどうなったの?と気にしていたので、EUN選手団という形で旧ソ連の選手たちがバルセロナ五輪に参加しているのを見て、ひとまずほっとしたものです。

実のところ、見る一方ではなく、いっとき体操競技をかじっていました。
プレイヤーでした、なんていうのもおこがましいくらいへタレで、かじっていたというのが妥当なレベルです。
中学のとき体育教師の縁を通じて近所の私立高校の体操部の練習に通うようになり、長期休み中は合宿にも参加しました。しかし公立である中学の方から、学外のしかも私立高校での活動を禁じられ1年半で辞めることに。
高校は体操部のある公立高校に進学。少しずつ順調に技を覚えながら迎えた高校2年の夏、平均台上で突然途轍もない恐怖心に見舞われました。怖いとひとたび思ってしまったら体がすくんで何もできなくなり、顧問の先生には呆れ返られ、毎朝目覚めると「今日も平均台をやるのか」と暗い気分になり、常に自己嫌悪が付きまとうようになっていきました。
昨日できたことが今日できなくなる。それが自分のメンタルの弱さからきているとわかっているのに、どうにもぬぐいきれなかった。部活をやめることは放り出すことだ、それだけはするまいと思っていたけれど、続けていてもすでに逃げているのも同然でした。自分がどうにも不甲斐なく、向き合うのがほんとうにしんどかった日々です。おかげで当時の写真の暗い表情といったら。誰からかもたらされたわけではない、自らが招いた暗黒時代でした。

オリンピックで体操競技を見るたびに高校時代の自分の弱さを思い出して胸がちくっとするのですが、30年もたつとあのときはそういうやり方しかできないくらい私の視野は狭く未熟すぎたんだなと落ち着いて振り返れます。今同じ状況だったら「臆病な私には無理!」ってたちまち逃げて、違う形での関わり方、自分が楽しめるポイントを見いだす方向にシフトチェンジするでしょう。
それはきっとあの頃よりも今の方が時間が有限であることを知っているからだし、乗り越えがたい弱さを肯定できるようになったからだし、人目を気にしなくなったからだろうと思います。

それでもまだ憧れるんです、体操選手になることに。もちろん来世に持ち越しです。次はもっと幼い頃から「体操選手になるんだ」って夢に没頭したい。
気が早いですかね。

(今回は海外の話が出てきたので、数年前にマルタ共和国を訪れたときの写真を掲載しました)

 

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  • この記事を書いた人

武藤 奈緒美

1973年茨城県日立市生まれ。 國學院大學文学部卒業後、スタジオやフリーのアシスタントを経て独立。 広告、書籍、雑誌、パンフレット、web等で活動中。 自然な写真を撮ることが信条です。 ここ10年程で落語などの伝統芸能、着物の撮影を頻繁にやっております。 移動そのものが好きで、その土地その土地の食べ物や文化に関心が強く、声がかかればどこにでも出かけ撮っています。 趣味は読書、落語や演劇鑑賞、歴史探訪。 民俗学や日本の手仕事がここ数年の関心事項です。 撮影を担当した書籍に「柳家喬太郎のヨーロッパ落語道中記」(フィルムアート社)、「さん喬一門本」(秀和システム)、「かぼちゃを塩で煮る」(絵と文 牧野伊三夫 幻冬舎)、「落語家と楽しむ男着物」(河出書房新社)など。[HP むーちょで候。]http://www.mu-cyo.com

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