稀人ハンター川内イオの東奔西走記 連載シリーズ

やさしい味のミルクは牛が幸せに暮らす牧場から生まれる。

皆さん、こんにちは! 常識に縛られず、驚くような発想と行動力で世間をアッと言わせる「規格外の稀な人」を追いかけている、稀人ハンターの川内です。

 

皆さんは、毎日必ず飲む飲み物ってありますか? 僕は毎朝、牛乳を飲んでいます。この習慣は子どもの頃からずっと変わっていません(笑)。牛乳が好きで好きでたまらない! というわけではないんですが、朝、牛乳を飲まないとなんだか落ち着かないんですよね。

僕のように牛乳をゴクゴク飲まなくても、コーヒーや紅茶に入れて飲むという方は多いと思います。今回はその牛乳のお話。

 

スーパーなどで一般的に売られている牛乳は、乳牛から搾ったものです。その乳牛の寿命ってどれぐらいか知っていますか? 一般的な牧場で飼われている乳牛は身体の不調などが原因でわずか5、6年で役割を終え、その後は人間か動物が食べる肉となります。

 

ここで大切なのは、寿命が5、6年ではなくて、乳牛としての役目を果たせなくなるのが5、6年ということです。それからすぐに牛肉として食べられちゃうと思うと、ずいぶん短い人生(牛生)ですが、良くも悪くもこれが乳牛の当たり前なんです。

 

20代で絶景広がる牧場をオープン

でも、乳牛自体が短命というわけではありません。なかには19歳で大往生した乳牛もいるんです。その牛が暮らしていたのは、岩手の岩泉町にあるなかほら牧場。オーナーの中洞正さんは1984年から牛の健康、幸福度を第一に考えて24時間365日完全放牧し、農薬や化学肥料を使わない山の草を食べさせ、交配、分娩も自然に任せて牛を育てる「山地酪農」を実践していて、酪農界の異端児と呼ばれています。

 

ちなみに、なかほら牧場の牛乳は1本720ミリリットルで1188円。チーズやジェラートなどほかの乳製品も同様に高値ですが、どれも人気で牧場の売り上げは年間およそ5億円に達します。

 

その牛は19歳で赤ちゃんを産んだし、お乳も出ていました。出産から数か月後に亡くなったけど、獣医さんが診断書に『老衰死』と書いた乳牛は、日本でその牛だけかもしれません。それぐらい珍しいことです」と教えてくれたのは、花坂薫さん。

花坂さんは東京農業大学在学時になかほら牧場で研修し、山のなかを自由に歩き回っている牛や牧場で働くスタッフたちに魅せられて、卒業後の2012年、なかほら牧場に就職しました。そこで「山地酪農」をみっちりと学び、2018年6月、縁あって二十代にして神奈川県山北町にある県営育成牧場の跡地で、なかほら牧場出身の5頭の牛とともに「薫る野牧場」をオープンしました。

 

僕が取材に行ったのは、オープンした年の10月。驚いたのは、その環境でした。標高723メートルの大野山の山頂にある8.8ヘクタールの牧場から見えるのは、山ばかり。人工物がほとんど目に入らず、麓の山北駅から車で30分弱なのに、ヨーロッパのアルプスに来たかのような風景が広がっているのです。そして、山々の背後にそびえたつのは、富士山!

 

この牧場で、花坂さんは師匠の教えを引き継ぎ、お手伝いに来てくれる仲間たちとともに、24時間365日完全放牧し、自然に生えている山の草を与え、交配、分娩も自然に任せて牛を育てているのです。

 

夕方ごろ、花坂さんが搾乳室の外側につけられた鐘を鳴らしながら、「こー、こー」と声を上げると、間もなくして、林のなかから5頭の牛がぞろぞろと現れました。「こー」というのは岩手の言葉で、「来い」という意味。岩手のなかほら牧場で生まれ育った牛たちはその言葉を理解し、くつろいだ様子で自ら囲いに入っていきます。

 

続いて、花坂さんが搾乳室の扉を開けて一頭、一頭、牛の名前を呼ぶと、牛たちがのっそりのっそりと扉のなかに足を進めていきます。そこで搾乳。すごく印象的だったのは、花坂さんが牛たちに「ありがとう!」と声をかけていることでした。

なかほら牧場と薫る野牧場というストレスのない環境で、人間と信頼関係を築いている牛たちは、見慣れない人間(僕)にも親しげな様子で体を寄せてきます。頭を撫でながら、自分の気持ちが温かくなるのを感じました。

 

「すんごくやさしい」ソフトクリーム

僕が取材に行った当時は設備上の都合で、薫る野牧場のミルクはソフトクリームでしか味わうことができませんでした。花坂さんがミルクをソフトクリームとして使える状態に加工し、近隣のカフェなどに卸していて、僕はそのうちの一軒、山北駅の近くにある「やまきたさくらカフェ」でソフトクリームを注文しました。

一口食べて浮かんできた言葉は、「すんごくやさしい」。ソフトクリームというと、ねっとりとした濃厚な甘みというイメージがあったのですが、口のなかに爽やかなミルクの味が広がったあと、雪のようにフワッと溶けてゆく。その感覚に驚くとともに、繊細さと優しさを感じました。カフェのオーナーによると、1日に3回食べに来たり、毎週必ず食べに来てくれる方もいるそうです。

 

牧場も3年目に入った今では、ソフトクリームだけではなく、牛乳の販売も始まりました。(詳しくは薫る野牧場のフェイスブックページを参照/https://www.facebook.com/kaorunofarm/)

 

薫る野牧場では、予約制で見学も受け入れています。絶景が広がる牧場でのびのびと過ごす牛たちを眺めた後に、麓のお店で牛たちのミルクを使ったソフトクリームやクリーミーな牛乳を飲んだら、おいしいだけじゃなく、学びと気づきのある1日になると思います。僕も取材後に一度、プライベートで訪問しましたが、また花坂さんと牛に会いに行きたいです。

 

稀人ハンターの旅はまだまだ続く――。

 

※この取材は、2018年に行ったものです。

 

  • この記事を書いた人

川内 イオ

1979年、千葉生まれ。ジャンルを問わず「規格外の稀な人」を追う稀人ハンター。新卒で入社した広告代理店を9ヶ月で退職し、03年よりフリーライターに。06年、バルセロナに移住し、ライターをしながらラテンの生活に浸る。10年に帰国後、2誌の編集部を経て再びフリーランスに。現在は稀人ハンターとして多数のメディアに寄稿するほか、イベント企画も手掛ける。 『農業新時代 ネクストファーマーズの挑戦 (文春新書)』 『BREAK!「今」を突き破る仕事論(双葉社)』等、著書多数。 ホームページ:http://iokawauchi.com/

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