稀人ハンター川内イオの東奔西走記 連載シリーズ

アツくて忘れがたい!400年以上続く秋田・角館のお祭り「火振りかまくら」

皆さん、こんにちは! 常識に捉われないアイデアと行動力で「世界を明るく照らす稀な人」を追いかけている、稀人ハンターの川内です。

前回、茨城県の笠間にある愛宕神社で開催されている日本三大奇祭のひとつ「悪態祭り」について紹介しました。もうひとつ、僕にとってアツくて忘れがたいお祭りがあります。毎年2月に秋田県の角館で開催される伝統行事、「火振りかまくら」です。

風流な角館の雰囲気が変わる日

角館に現存する武家屋敷

角館は、江戸時代の趣を今も残す武家屋敷が軒を連ねる秋田屈指の名所。歴史情緒と品の良さを感じさせる町で、シンと静まり返った2月の雪景色はとても風流です。その角館が、「火振りかまくら」の日だけ、いつもと違った雰囲気に包まれます。

秋田県仙北市の文化財課によると、燃え盛る炭俵を振り回す「火振りかまくら」は400年以上前の江戸時代、小正月にあたる1月14日に行われていました。もともとは豊作を祈願する農民の儀式で、火は稲の害虫を焼き払うという意味を持つそうです。秋田地方では、この行事を「かまくら」と呼びます。

当時は、米俵や製炭用に使う俵に火をつけていました。俵に火をつけるのは雪解けが早くなり、燃えかすが肥料にもなるという側面もあったようです。いつから振り回すようになったのか定かではないけど、文化十一年甲戌(1815年)に作られた『奥州秋田風俗問状答』という資料の中の図表「一月十四日道祖神祭」には、武家屋敷の門前で大火を燃やし、男たちが俵に火をつけて振っている姿が描かれています。

現在は、五穀豊穣、無病息災、家内安全を願うものとして、角館のほか横手、六郷、秋田で行事として現存しています。昭和30年代から40年代にかけて、炭俵の不足で一時中断されていましたが、「火振りかまくら」は400年以上、ほぼ途切れることなく受け継がれてきたのです。

少年もギャルも火を振り回す

あちこちで燃え盛る火が回転する会場

僕が取材に行ったのは、2014年2月13日。その日の夕刻、秋田県の角館駅から徒歩20分、国道46号線と市内を流れる桧木内川の堤防の間に位置する「火振りかまくら」の主会場・桜並木駐車場に向かいました。

お祭り会場に足を踏み入れた時、僕は思わず「やばい……」と呟きました。夜店が立ち、大勢の参加者と見物客でにぎわう会場で、7、8歳ぐらいの少年やミニスカートをはいたイマドキギャルが、余裕の表情で炎に包まれた俵を振り回しているのです。ほかにもいくつもの巨大な火の塊がぶんぶんと回転していて、それはこれまでに見たことのない幻想的な光景でした。

僕が住む東京では、火は「危ないもの」です。公園では焚き火はおろか、花火すら禁止されています。タバコを吸わない僕が日常的に見る火はガスコンロぐらいで、当然、屋外で火を目にすることなんてほとんどありません。

まったく怖がる様子のない少年

それなのに! 角館では、祭りの参加者が火と戯れています。遊んでいるわけではなく伝統的な行事だとわかっているけど、それにしてもみんな、火の粉に怯える様子もなく、おばあちゃんも子どもも若いギャルもおじさんも、みんな、いたずらっ子のような表情でニコニコ。

ああ、俺もやりたい!

そんな衝動が込み上げてきて、近くにいた女性に「観光客も体験できるんですか?」と尋ねたら、「できますよ!」とわざわざ受付まで案内してくれました。さすが、火を愛する角館の人は心もホットです。火ぶり体験は500円。火の粉を避けるために頭に巻く手ぬぐいとはんてん、軍手を貸してくれました。さあ、僕も400年を超える伝統を体感する時がきました。

異界から現実に引き戻された気分

紺色のはんてんをまとい、頭に手ぬぐいを巻いた地元の男性が、わらを編みこんだ炭俵を焚き火に近づけます。炭俵には1メートルほどのわらの縄がついています。火がチロリチロリと炭俵を這い回り、5秒ほど経つと燃え移りました。次第に炭俵の火が大きくなり、燃え盛る一歩手前の時点で男性は「どうぞ」と縄を僕に手渡しました。

縄の先では、あっという間に火が全体に広がり、大きな火の玉のようになっています。僕は縄を両手で握り、頭上に構え、燃え盛る炭俵を振り回し始めました。経験したことのないほど近くで、パチパチパチパチと木が爆ぜる音が耳に響きます。僕は無意識のうちに「おおおおおー!」と声をあげながら、燃え盛る俵を回転させました。今振り返れば、人間の根源的で原始的な雄叫びだった気がします。

会場のスタッフさんに撮ってもらった僕の写真、なぜか薄笑い

振り回すと、その影響で火の勢いがどんどん強くなり、俵は完全に炎に包まれます。その間、熱さや怖さを感じることはなく、夢中というよりも無心という言葉がぴったりくるような、静けさに包まれた精神状態でした。

終わりは唐突に訪れます。火が縄に燃え移ると間もなく焼き切れて、炭俵が雪の上にボトンと落ちて終了。手元が急に軽くなるその瞬間は、異界から現実に引き戻されたような不思議な気分でした。手元に残った縄にはお守りがついていて、これを自宅に持ち帰って飾れば無病息災のお守りになります。

手元に残った縄は無病息災のお守りに

目的を果たした僕は、夜店を巡って祭りを楽しみました。秋田のお米で作る駄菓子「ばくだん」、角館でイノシシを飼育しているというご夫婦自慢の「イノシシなべ」、地鶏を入れたラーメンなどが売られていて、地域色が豊かです。

祭りのクライマックスは、「冬花火」。20時になる直前、カウントダウンが始まり、会場のみんなで「ゼロ!」といった瞬間、夜空にドーンと大きな花火が打ち上げられました。夜空が明るく色づくのを眺めながら、僕は「火振りかまくら」について思いを馳せました。

なぜ、江戸時代の人たちは、炭俵に火を付けてみんなで振り回すなんて奇妙なことを始めたのでしょうか。その理由は、思わず目を奪われる火の玉の乱舞と、人々のいたずらっ子のような笑顔、そして僕が感じた原始的な衝動にある気がしました。

火振りかまくらは、一度体験したら一生忘れない思い出になります。いつか、娘を連れて行ってみたいと思います。

 

ここからは、ちょいとお知らせ。なんと、この10月に2冊の本を出版しました! 24歳で物書きを始めてから18年、まさか同じ月に2冊の本を出す日が来るとは!アンビリバボー!

10月5日に発売したのは、ほかに誰も作っている人がいないようなモノづくりに情熱を燃やす10人を取り上げた『ウルトラニッチ 小さな発見から始まるモノづくりのヒント』

 

 

 

 

 

 

 

 

10月20日に発売したのは、独自の取り組みで農業界で異彩を放つ10人を取り上げた『農業フロンティア 越境するネクストファーマーズ』

 

 

 

 

 

 

 

 

もしよかったら、ご一読ください!

稀人ハンターの旅はまだまだ続く――。

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  • この記事を書いた人

川内 イオ

1979年、千葉生まれ。ジャンルを問わず「規格外の稀な人」を追う稀人ハンター。新卒で入社した広告代理店を9ヶ月で退職し、03年よりフリーライターに。06年、バルセロナに移住し、ライターをしながらラテンの生活に浸る。10年に帰国後、2誌の編集部を経て再びフリーランスに。現在は稀人ハンターとして多数のメディアに寄稿するほか、イベント企画も手掛ける。 『農業新時代 ネクストファーマーズの挑戦 (文春新書)』 『BREAK!「今」を突き破る仕事論(双葉社)』等、著書多数。 ホームページ:http://iokawauchi.com/

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