稀人ハンター川内イオの東奔西走記 連載シリーズ

江戸時代にタイムスリップ!三重の宿場町で139年続く桶屋さん

皆さん、こんにちは! 常識に捉われないアイデアと行動力で「世界を明るく照らす稀な人」を追いかけている、稀人ハンターの川内です。

 

最近ようやく、真夏の猛烈な暑さがやわらいできましたね。朝、夜には秋の気配を感じるようになりました。秋が来ると旅に出たくなるのは、僕だけではないでしょう。僕は旅先も「発掘」したいタイプなので(笑)、穴場を紹介しますね。

 

前々回のコラムでは三重県伊賀市の「伊賀くみひも」について紹介しました。もし伊賀に興味を持った方がいたら、ぜひ隣町にも足を運んでもらいたいと思います。目指すは、伊賀市から車で30分ほどの距離にある亀山市の関町。

古い町並みが今も残る関町

東海道五十三次の47番目の宿場にあたる関町は、歴史情緒を感じさせる落ち着いた町並みが、東西1.8キロにわたって続きます。特に、江戸後期から明治時代にかけて建てられた町家が200棟以上も現存する町の中心部、中町はそれほど観光地化しておらず、そこにしっかりと根付いた生活の息吹を感じて、タイムスリップしたような感覚を味わえるんです。

 

宿場として栄えた関は、人や馬が足を洗うために桶の需要が高まり、往時は数軒の桶屋が軒を連ねていたそう。その関の中町で唯一いまも店を構えているのが、明治15年(1882年)創業の桶重。今回は、中町で139年の歴史を持つ、桶屋さんの取材を振り返りましょう。

花桶が7000円する理由

桶重は、歴史を感じさせるレトロな店構え。ガラス張りのお店をのぞくと内側には仕事場が広がっていて、いかにも使い込まれたさまざまな道具や作りかけの花桶が見えます。

 

話を聞かせてくれたのは、四代目の服部健さん。小柄で語り口は穏やかながら、向き合うと熟練の職人さんが共通して持っている「静かな迫力」のようなものが伝わってきます。服部さんは花桶、おひつ、寿司桶、漬物桶、たらいなど「桶」と名の付くものとその類縁にあるものを受注生産しているほか、修理も受け付けています。価格は最も小さな花桶が7000円と聞いて驚きましたが、桶を作る過程を聞いて納得しました。

服部さんは、創業時から受け継がれる伝統的な技法を頑なに守り続けています。「昔からのものをそのまま伝えるのが、伝統工芸」というのが持論で、既製品を一切使用せず、一から十まで完全なる手作り。「親の代から子の代まで、50年は持つ」というその仕事は、木材を選ぶことから始まります。よく使うのは、椹(さわら)と槙(まき)と杉。長年の付き合いがある業者から原木を仕入れていて、市販されているような材木は使いません。

 

「うちの桶は高いと言われるけど、木が高いんだ (笑)。例えば、おひつや寿司桶みたいに熱いものを入れる桶を作る時、普通に売っている木を使うと、2、3年もしたら木が歪んで、タガ(桶の周りにはめる輪)も緩む。それで終わりやで。だから、熱いものに使う桶は、自分で仕入れた原木を割ってみて、まっすぐに割れた木しか使わない。そういう素性の良い木を使えば、何年たっても歪まん」

桶の寿命は50年

一本一本、竹を細く割いて作るタガ

タガや一枚一枚の板を固定する釘としても重宝する竹にも徹底的にこだわります。服部さんの桶は一般的によく使われる接着用の米糊を使わないものもあるので、タガと竹釘が生命線なのです。

 

服部さんが使うのは、硬くもなく柔らかすぎず加工がしやすいという「生えてから4年、5年経った、関東の雑木林の南斜面にある真竹」で、これは最初の条件。求めているのは、暦の上で1年に6回ある「八専(はっせん)」と呼ばれる期間のうち、11月頃の八専が終わった直後に刈った竹のみ。その時期の竹は水を吸い上げる力が弱り、刈った後に虫がつかないと言います。

 

竹を刈る日も、限られています。竹の中にある節が闇夜には上を向き、月夜には下を向く。節が下を向いている竹のほうが作業しやすいため、月夜の晩に刈ったもの限定。これも、信頼関係のある業者から条件に合った竹を一括で仕入れ、暗闇の中で保管します。

柔軟性があり強度もある竹釘も手作り

そうして注文が入ると一本、一本引きだしてきては竹を細かく裂いてタガにします。指先に乗るような直径数センチほどの竹釘も、この竹を使ってひとつひとつ手作り。

木材は、3年ほど乾燥させたものを「せん」という道具で荒削りしてから、注文に合う大きさのカンナで削りだします。刃の部分が湾曲しているため、桶の円周に近づいていきます。

ひと通りの板ができたら、キリで側面に穴をあけて竹釘を打ち込み、ときには米糊を塗って板と板をつなげていきます。そうして一度桶の形にすると、内側と外側を改めてカンナで削り直し、滑らかに調整。それから底板をはめ込み、編み込んだタガで桶を締め上げます。完成品は凛として清々しく、桶としての機能性も抜群!

 

「水が漏れないようにするのが桶屋の技術。桶の寿命は50年と言われているから、その感覚で作ってます」

職人としての気概

口コミで腕の良さが広まり、服部さんのもとには一般の客だけでなく、全国の神社やお寺などで使う特別な桶の注文が届きます。例えば、静岡の神社からは昔から使っていた桶を再現してほしいと声がかかり、関西の神社からは作り手がいなくなった卵型の桶を作ってほしいと依頼がありました。作ったことがない形や用途のものがあっても、どんな注文にも応えてみせるという誇りと気概を持って仕事に臨みます。

 

「職人の世界はな、うちはこんなんできんと言うのはありえん。誰が、いつ作った桶でも作れなきゃ、直せなきゃあかん。それができるのが職人、できなかったら単なる趣味や」

 

桶重は目抜き通りに面しているので、服部さんの手仕事を店頭から見学ができます。関町に足を運んだ際には、ぜひお店をのぞいてみてください。店先に桶があれば、購入も可能です。服部さんの職人魂に触れて背筋が伸びた僕は、お土産に花桶を買って帰りました。

 

稀人ハンターの旅はまだまだ続く――。

 

※この取材は2017年に行ったものです。

ACCESS

桶重

三重県亀山市布気町1451-2
TEL:0595-96-2808
営業時間 9:00~17:00 不定休

 

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  • この記事を書いた人

川内 イオ

1979年、千葉生まれ。ジャンルを問わず「規格外の稀な人」を追う稀人ハンター。新卒で入社した広告代理店を9ヶ月で退職し、03年よりフリーライターに。06年、バルセロナに移住し、ライターをしながらラテンの生活に浸る。10年に帰国後、2誌の編集部を経て再びフリーランスに。現在は稀人ハンターとして多数のメディアに寄稿するほか、イベント企画も手掛ける。 『農業新時代 ネクストファーマーズの挑戦 (文春新書)』 『BREAK!「今」を突き破る仕事論(双葉社)』等、著書多数。 ホームページ:http://iokawauchi.com/

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