旅行 稀人ハンター川内イオの東奔西走記 連載シリーズ

年間約1万人が来訪!「日本一の赤字線」をトロッコで疾走

皆さん、こんにちは! 常識に捉われないアイデアと行動力で「世界を明るく照らす稀な人」を追いかけている、稀人ハンターの川内です。

 

あちこちに取材に出かけていると、何度も通いたくなるところがあります。僕にとってそれは、「道東(どうとう)」と呼ばれる北海道の東側。以前にプライベートで数日間、キャンピングカーで巡って以来すっかり惚れ込んでしまい、これまでに4回、再訪しています。

 

なぜ、と聞かれると自分でもまったくわからないんですが、人にしてもモノにしても旅先にしても、「好き」を説明するのって、難しいですよね?好きといえば、僕はなにか珍しいものに「乗る」のも好きで、このコラムで紹介しただけでも馬、ゾウ、犬、トゥクトゥクに乗ってきました。

 

道東と変わった乗り物が好きな僕が今回紹介するのは、北海道の美深町とトロッコです。

廃線になった「日本一の赤字線」

美深は「びふか」と読みます。北海道第2の都市、旭川市と北海道の北端、稚内市のほとんど中間に位置する、人口4000人ほどの小さな町です。なぜ、美深町にトロッコが? という疑問の答えは、町の歴史に深くかかわっています。

トロッコ王国美深」を運営しているNPO法人トロッコ王国美深の広報管理部の岩崎泰好さんによると、美深町には旧国鉄の美幸線(びこうせん)が走っていました。計画では、美深駅からオホーツク海沿岸の北見枝幸駅まで80キロ弱の路線になる予定で、工事の関係で美深町駅から美深町内の仁宇布駅まで一部開通して営業を始めたのが、昭和39年(1964年)。

 

しかし、ふたを開けてみれば美深駅から仁宇布駅まで4駅、約20キロという短い区間に乗車する人はそれほどいませんでした。100円の営業収益を得るために必要な営業費用の指数を「営業係数」といい、開業から10年後の1974年度(昭和49)の営業係数は3859円(100円の収入に対して支出が3859円)に達し、「日本一の赤字線」と呼ばれるようになりました。

 

1980年に経営状態が悪いローカル線の廃止などを盛り込んだ国鉄再建法(日本国有鉄道経営再建促進特別措置法)が公布されると、美幸線は黒字化する見込みのない赤字路線として指定を受けてしまいます。1985年には、すべての工事が中止されて廃線となりました。この美幸線の廃線が、トロッコ王国誕生につながります。

予想を超える人気

立ち並ぶ白樺が新緑のトンネルを作る。

「廃線になった後、仁宇布駅の周辺の5キロ区間はレールも外さないでそのまま残されていました。そこで、町の有志で残ったレールをなにかに使えないかと話し合うようになりました。当初は馬に引かせる馬車鉄道をやろうかという話もあったんですが、飼育するのが大変だということで、知恵を絞った結果として線路の保線作業用の軌道自動自転車を走らせてみたらどうかということになりました」

 

軌道自動自転車は鉄道員が線路の保守点検の際に使う乗り物で、自転車という名前はついていますが、エンジンを搭載していて、アクセルを踏むと前進し、ブレーキをかけると止まります。岩崎さんら町の有志は、国鉄に掛け合って使用していない4人乗りの軌道自動自転車を2台もらい受け、「トロッコ」と呼ぶことにしました。

線路を含む土地は廃線の際に国鉄から美深町に譲渡されていたため、有志66人が「トロッコ王国美深の会」を結成し、町から土地を借りて、遺されていた線路を整備。そして1998年、時速20キロ前後で走るトロッコを使い、仁宇布駅から往復10キロの廃線を走る「トロッコ王国美深」をオープンしました。

 

最初の3年間は土日祝日と夏休み期間だけ開いていて、特に大きな宣伝もしていないのに、初年度に981人、2年目に1093人、3年目に3680人と入国者が増えていきました(王国なので『入国者』としてカウント)。そこで2001年より、ゴールデンウイークが始まる4月から10月末まで毎日運航するようにしたところ、7778人と倍増。翌年には1万2304人、その次の年には1万3323人と入国者が急増し、予想外の反響にNPOのメンバーも驚き、喜んだそうです。

 

この人気が今もそれほど衰えておらず、コロナ禍で6月から約4カ月間の営業になった昨年も、約8700人が訪れました。ちなみに、オープン当初に活躍した軌道自動自転車は老朽化したためすでに引退していて、今あるトロッコ20台は、軌道自動自転車をモデルにNPOで自作したオリジナルで、5人乗りと9人乗りがあります。

並みのアトラクションをはるかに上回る爽快感

廃線をトロッコのような乗り物で走ることができるスポットはいくつかあるものの、時速20キロ出るエンジン付きのトロッコで、往復10キロも運転できる場所はほかにありません。しかも、伝説的な「日本一の赤字線」を走ると思うと、鉄道ファンでなくともテンションが上がりますよね。ということで、ひとりでトロッコに乗り、いざ出発!

現在使用されているトロッコに乗る筆者

物は試しと、まずは思いっきりアクセルを踏んでみました。その途端、僕は「おおおおおお!」と声を上げていました。フルオープンに近い乗り物で20キロを出すと、風や景色の流れをダイレクトに感じるからか、意外なほどにスピーディー! 

 

スタート地点から少しの間は開けた場所を進み、しばらくすると木立の間を抜けるコースに入っていきます。みずみずしい新緑がトンネルのようになっていて、そのなかをビューッンと走り抜けると、これがもう本当に爽快で、刺激の強い目薬を差した30年前の織田裕二のように、僕は「キターーーーッ!」と叫んでいました。

 

ヒャッヒャ言いながらトロッコを進めていくと、今度は川の上を走る鉄橋が! ここ、線路の脇に柵がないから、安定した北の大地から急に狭くて不安定なところを走っている感覚になって、スリルがあります。ハッキリ言って、並みのアトラクションをはるかに上回る楽しさと気持ちよさ。

鉄橋を渡る時はスピードを落とすべし。

線路は1本だけで、5キロほど行った地点でグルっと回転して戻ってくる仕組みになっているので、帰りはゆっくりと走って、トロッコと廃線をじっくり堪能しました。

 

道東を訪ねた際は、ぜひ美深町まで足を伸ばしてみてください。そしてぜひ、アクセルのベタ踏みを試してみてくださいね。

 

稀人ハンターの旅はまだまだ続く――。

 

※この取材は今年7月に行ったものです。

ACCESS

トロッコ王国美深

https://www.torokkobihuka.com/

北海道中川郡美深町字仁宇布215番地

宗谷本線 JR美深駅から車で約30分

デマンドバスの利用可

,※要予約

 

\イマジン健康情報配信中/
友だち追加

 

  • この記事を書いた人

川内 イオ

1979年、千葉生まれ。ジャンルを問わず「規格外の稀な人」を追う稀人ハンター。新卒で入社した広告代理店を9ヶ月で退職し、03年よりフリーライターに。06年、バルセロナに移住し、ライターをしながらラテンの生活に浸る。10年に帰国後、2誌の編集部を経て再びフリーランスに。現在は稀人ハンターとして多数のメディアに寄稿するほか、イベント企画も手掛ける。 『農業新時代 ネクストファーマーズの挑戦 (文春新書)』 『BREAK!「今」を突き破る仕事論(双葉社)』等、著書多数。 ホームページ:http://iokawauchi.com/

-旅行, 稀人ハンター川内イオの東奔西走記, 連載シリーズ