こんにちは。フォトグラファーの武藤奈緒美こと、むーちょです。

 

何年も更新せずに放ったらかしのホームページをようやくリニューアルする気になりまして、ただいま過去の写真を振り返っています。

 

職人の手に引き込まれる

これまで撮ってきた写真たちから気付くことがあります。どうやら自分は手の動きが気になるようだ。相手が職人さんとなるとものを生み出す手にすっかり引き込まれ、まるで手品の仕掛けを見破ろうとでもするかのようにしつこくじいーっと見つめてしまう。そこに注ぐ視線の熱量は顕著に枚数にあらわれ、いつまででも撮っていたくなる。それくらい手は、とりわけはたらいている手は、面白くフォトジェニックです。手がこれまで繰り返してきた仕事の記憶を淡々となぞる姿に、まるでその作業に特化しているかのように動く姿に、道具としての美しさを感じます。

 

きもの好きが高じ、そこに関わる職人さんの取材に行く機会があります。去年の秋は小山市(栃木県)へ結城紬の取材に伺いました。国の重要無形文化財とユネスコの無形文化遺産に登録されている織物です。ただ、小山市と隣りの結城市(茨城県)で生まれる全ての織物が重要無形文化財なわけではなく、それには3つの要件があります。真綿からの手紡ぎの糸であること、柄は絣くくりによること、地機での機織りであることの3点です。一反出来上がるまでには途方もなくたくさんの工程があり多くの職人さんが関わるのですが、主にその3点にフォーカスした取材でした。

職人さんのはたらく手が大好きなわたしにとって、これはうってつけ、もうパラダイスです。存分に手が撮れる。その手が生み出す仕事が取材の肝なのですから。

 

糸紡ぎ歴50年の女性が紡ぐ真綿の糸は、どうして切れないのってびっくりするほど細かった。糸を引く指先が全てを塩梅しているという感じ。

絣について、説明では仕組みがいまいち想像できなかったけれど、実際の現場を見てその構造がわかり、あまりにミクロで果てしない作業に度肝を抜かれた。

 

地機での機織りにも驚いた。身体自体も織り機の一部になっているのだもの。

結城紬の取材は二度目で、一度目は結城市でやはりこの3つの工程を拝見しました。二度目であってもやはり改めて驚く精緻な職人技で、そりゃ高級な織物になるはずだとやたら納得するものがありました。手間ひまがかかっているだけではありません。職人さんたちが何十年と積み重ねてきた叡智、この土地で守り継いできた技の歴史が注ぎ込まれているのですから。究極の織物です。

 

身体の記憶、手の記憶

ひとつの分野に特化している手を紹介しましたが、感激するのはなにも職人さんの手に限りません。ふだんの手の美しさに魅せられた現場もあります。

 

以前、藤沢の某介護施設を取材しました。そこでは利用者さんたちは「お客様」ではなく、共同体の一員というご様子でした。なにしろ、皆さん家事を率先してやっている。昼食の煮炊きをするチーム、ジャム作りの下拵えをするチーム、食事の配膳をするチーム。利用者さんひとりひとりがスタッフさんととも能動的に動いていらっしゃいました。そのとき「包丁が切れなくなってきたね。おーい、○○さん、包丁研いでもらっていいですか」とスタッフさんに呼ばれた〇〇さん、立ち上がっておもむろに外に向かい、砥石に水をかけながら黙々と包丁を研ぎ始めた。聞けば元々大工をされていたとか。こんな風にして日々ご自身の道具を研いでいらしたのでしょう、身体や手がその仕事を覚えていらっしゃるから構えに安定感があってカッコ良かった。

 

煮炊きを担当する女性陣も同様です。その仕事を身体が記憶している人の背中が並びました。皆さんの手は道具と化し的確に動いていらした。

その光景を撮りながら、自分には身体や手がしっかりと記憶しているような仕事があるだろうかと考えました。それらが能動的に動いて何かを為す。職人仕事でも家事でも同様にそれってもう「技」と呼べるんじゃないか、その人の財産だよなと思うんです。もしかしたらわたしがはたらく手をやたら撮ってしまうのは、憧れの表れなのかもしれない。たくさんの手の写真を見ながら気付いたことです。