稀人ハンター川内イオの東奔西走記 連載シリーズ

山や森を歩く時の心強い味方。外国人も注文に来るオーダーメイドシューズメーカー「ゴロー」

皆さん、こんにちは! 常識に捉われないアイデアと行動力で「世界を明るく照らす稀な人」を追いかけている、稀人ハンターの川内です。

ここ数年、夏の暑さは、エネルギーを消耗するというより削り取られる感じですよね……。家の外に出ると脳みそがジュージューと過熱しているようです。ボーっとする頭で考えるのは、「涼しいところに行きたい」。僕はずっと「夏と言えば海!」派でしたが、最近は森や高原を思い浮かべます。

夏の真っ盛りは移動するのも大変だけど、もう少し外で過ごしやすい季節になったら、ハイキングや登山に行きたいと考えている読者も多いのではないでしょうか? ということで、今回は巣鴨にある小さなお店を紹介します。

そのお店は、1973年創業の「ゴロー」。登山家やハイカーの間では名を知られた、日本で唯一の登山靴、ウォーキングシューズのオーダーメイドメイカーです。

世界80カ国超で発売されているイギリスの情報誌『モノクル(MONOCLE)』が2015年に発売した東京のガイドブックで1ページを割いて紹介されていて、その情報を頼りに外国人旅行者が訪ねてくるそう。訪問者の国籍は多様で、イギリス、スウェーデン、ノルウェー、アメリカ、カナダ、メキシコ、ドバイ、ロシア、タイなどなど。外国人がわざわざ靴を注文しにくるって、どういうこと!?

10歳から修行

取材に応じてくれたのは、「ゴロー」の二代目、森本勇夫さん。昨年のコロナ禍で売り上げが落ち込んだのを機に、弟子たちに道を譲るために職人を引退されてしまったそうだけど、僕が訪ねた2018年には75歳にして現役バリバリで働かれていました。登山業界では知らぬ人のいない存在で、名だたる人たちが、森本さんが作った靴を履いています。

日本を代表する登山家、冒険家で国民栄誉賞を受賞している植村直己さん、2013年に80歳で3度目のエベレスト登頂を果たし、世界最高齢登頂記録を持つプロスキーヤー、冒険家の三浦雄一郎さん、オートバイによる史上初の北極点・南極点到達、エベレスト登攀(6,005m)などの世界記録を持つ冒険家、風間深志さん。

南極観測隊や多数の登山家たちの靴も手掛けています。極地に挑む人たちはみな命懸けで、装備に妥協はありません。言い換えれば、ゴローの靴は命を預けるに足る信頼を得ているのです。

「私は不器用なんだけどね」と苦笑する森本さんの腕は、父、森本五郎さんに鍛え上げられました。

「生まれは牛込(新宿区)で、20歳まで過ごしました。親父も靴の職人でね。婦人靴、紳士靴、スポーツで使う靴となんでも作っていたんだけど、小学4年生頃から学校が終わると毎日仕事を手伝わされてたな。遊びに行くこともできなくて、ほんと嫌々でしたよ」

危機を救った登山靴

中学に入ってからも、遊ぶ暇なく見習いが続きました。父親は手縫いの靴を作っていたから、森本少年も靴用の太い針と糸で毎日、毎日、靴を縫いました。家の仕事があるからという理由で、渋々、夜間の高校に進学。昼間に集中して仕事をすることでメキメキと実力をつけ、あっという間に「半人前以上になった」そうで、靴の仕事に専念しようと1学期で中退したそうです。

それから時が経ち、森本さんが20代になった1960年代から70年代にかけて、登山とスキーがブームに。その影響で、徐々に登山靴とスキーシューズの割合が増えていきました。一家そろって腕の良い職人だったから、卸先は地方にも広がり20店舗ほどになりました。ところがそれから1、2年もするとスキーシューズが一気にプラスチック製に入れ替わり、さっぱり売れなくなりました。森本さんが「靴屋、辞めようか」と思ったという危機を救ったのは、登山靴でした。

登山ブームの追い風もあり、森本家がつくる登山靴はよく売れました。そうして1973年、父親の名前を冠したオーダーメイドの登山靴店「ゴロー」をオープン。フィット感をなによりも大事にして、お客さんが納得するまで調整することを売りにしました。森本さんがちょうど30歳の時で、その頃は父、弟、2人の職人の5人で働いていたそうです。

本格的に山を登る「山屋」の世界は狭い。腕利きの職人が手縫いで作るゴローの登山靴の評判は瞬く間に広がり、著名な登山家からも依頼が入るようになりました。そのうちのひとりが、植村直己さんでした。

森本さんにとって、登山家や冒険家と話をしながら靴を作るのは刺激的で、どんどんアイデアが湧いてきました。1983年には、日本で初めて防水透湿性素材のゴアテックスで登山靴を製作。その数年後には、同じく日本で初めてクライミング用のラバーソールも完成させました。

「私は日本初、世界初が大好きだからね、いろんな靴を作りましたよ。新しいアイデアが浮かぶと、寝ないで靴を作っていましたからね。それが楽しいから夢中になっちゃって、知らない間に夜が明ける」

「なかなかほかの靴は履けないですよ」

寝食を忘れて靴作りに没頭してきた森本さんは、その技術力を一般の登山愛好家からのオーダーにも存分に活かしました。誰であろうと足にフィットするまで根気強く調整してくれるから、山での履き心地の良さは言うまでもありません。

靴が傷んだり、壊れた時は修理もしてくれるので、広告など出さなくても、ゴローの靴を求める人は後を絶たず、いつしかゴローの技術を受け継ごうと若者たちが続々と修行に訪れる名店になりました。

店を出してから48年、職人としては引退したものの、今年79歳にして店頭に立ち続け、お客さんの靴選びをサポートしているそうです。

取材中、たまたま来店した白髪の年配の方は、20年以上前にゴローで購入した登山靴を3度目の修理に出していて、それを受け取りに来たところでした。森本さんが「もうダメになりそうなところは手で縫っておいたからね」と言うと、靴を受け取りながら、ニコニコと思い入れを語ってくれた。

「もうね、なかなかほかの靴は履けないですよ。死ぬ前に靴がだめになるか、俺が先にダメになるかの勝負だね(笑)」

一度購入したら、その後の人生をともに歩む靴。それがゴローなのです。ゴローでは登山靴だけでなく、ハイキングやウォーキング用のシューズ、町歩き用のシューズなども売っています。取材時(2018年)には購入できなかったのですが、いつか履いてみたいと思う憧れのシューズです。

稀人ハンターの旅はまだまだ続く――。

ACCESS

有限会社 ゴロー

東京都文京区本駒込6-4-2
TEL:03-3945-0855

http://www.goro.co.jp/

 

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  • この記事を書いた人

川内 イオ

1979年、千葉生まれ。ジャンルを問わず「規格外の稀な人」を追う稀人ハンター。新卒で入社した広告代理店を9ヶ月で退職し、03年よりフリーライターに。06年、バルセロナに移住し、ライターをしながらラテンの生活に浸る。10年に帰国後、2誌の編集部を経て再びフリーランスに。現在は稀人ハンターとして多数のメディアに寄稿するほか、イベント企画も手掛ける。 『農業新時代 ネクストファーマーズの挑戦 (文春新書)』 『BREAK!「今」を突き破る仕事論(双葉社)』等、著書多数。 ホームページ:http://iokawauchi.com/

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