こんにちは。フォトグラファーのむーちょこと、武藤奈緒美です。
私が借りている仕事場は三方に窓があり、夏場でも窓を全開にしておけばさほど暑くならないというとても経済的な空間です。
夕方時分、カーテンが風をはらんで揺れ始めると、作業の手を止めてその動きに見入ってしまうこともしばしば。
その日吹く風によってカーテンが描く形はさまざまで、微風のときの控えめで楚々とした膨らみは、「ベルサイユのばら」に出てくるような貴婦人のドレスを思わせるし、強風で大きく膨らめばまるで洋上を進んでいく冒険船の帆のようだし、ただの白いカーテンがひとたび風を受けて様子が一変すると私の空想スイッチ(たいていは漫画の中のシチュエーション)がONになっていつまでも見飽きません。
そんなときカメラを取り出して、理想的な膨らみがやってくるのを待ちます。待つとこれがなかなか現れない。じーっと見ているうちに「何やってんだ、私は」と我に返ることもあれば、撮影モードになって撮りまくることも。去年も今年も今時分にやたらカーテンを撮った写真があるので、コロナの影響で時間ができたことが関係していると思われます。
時間ができるとそれまで気がつかないでいたことに気がいくようになる。そうするとこれまでよりもほんの少し世界が広がったように思えるし、身近なところに被写体を見つけられるのは喜ばしいし、時間があるということは大切なことだなと納得します。コロナのあおりを受けまくってますけど、ええ、もう、意地でも前向きです。
何かひとつの現象をじーっと見て楽しむというような子ども時代だったわけではありません。どちらかというとひとところに集中するのが苦手で、常にあっちこっちと視点が動いているような子どもでした。揺れ動くものがやたら気になるのを自覚したのはここ数年のことです。
4年ほど前からカシミアニットブランド・naocoの展示会用写真を撮影しています。naocoのデザインはぱっと見とてもシンプルで、四角形に近い織物に身体を通すとすかさず衣類になるのが不思議でしようがない・・・それくらいシンプルだからなのか、動いたときの線や形の美しさが際立ちます。
先だって真っ赤なコートを撮影したときには、カシミアの滑らかでとろけるような質感から生まれるドレープと裾のラインがあまりにきれいだったので、裾をしばらく揺らし続けてもらって何度もシャッターを切りました。揺れで表れる一瞬の形の連続は、一瞬ゆえに儚いのかといえばそんなことはなく、むしろ一瞬が連なることでたたみかけてくるような強さがありました。それが魅力的で、ああなんて楽しい服なのだろう、コートの裾を蹴り上げるようにしてざっくざっくと歩いたらさぞかしかっこ良かろうな、などと着て歩くときの心地を想像してわくわくしました。
そういえば去年の秋、久しぶりにスカートを買ったのもそんな理由からでした。仕事では履かないし、プライベートで出かけるときはキモノを着るので、スカート皆無。たまたま通りかかった店の前で民族衣装調のウールのプリーツスカートに釘付けになり、いても立ってもいられず試着させてもらいすっかりのぼせ上がりました。履いたときのウールの重みと自分の目線から見える裾の揺れがなんとも気持ちよく楽しい。足元が弾んでくる、どこまでもズンズンと歩いて行きたくなるようなスカートだったのです。
三次元の世界を二次元の世界に落とし込むのが写真表現ですが、そのときに私は三次元の余韻を残した二次元にしたいと常に意識します。動かないんだけど動きを感じさせる、写っている対象のもつ時間の前後を感じさせる、そういう1枚を撮りたい。揺れのあるもの、絶え間なく形を変えてひとところに落ち着かないもの・・・そういうものに反応するのは、そこに写真に落とし込みたいと思う、私にとっての理想的な動きがあるからなのだと思います。
夕方が近づいてきました。仕事場のカーテンが少しずつ膨らんだり萎んだりを繰り返し始めています。雨が止んで今日は穏やかな風のようです。念のため手元にカメラを置いて、今日の形はどんなだろうとチラチラ様子を見ながら作業を続けることにします。