稀人ハンター川内イオの東奔西走記 連載シリーズ

犬好きにおススメ!秋田県・大館市で秋田犬のルーツを知る旅

皆さん、こんにちは! 常識に縛られず、驚くような発想と行動力で世間をアッと言わせる「規格外の稀な人」を追いかけている、稀人ハンターの川内です。

 

春の陽気を感じると、旅に出たくなりますね。読者の皆さんは、どんな目的をもって旅をしますか? 僕は職業柄、どこに行ってもユニークな人やモノを求めてしまいますが、今回はそのなかでも少し変わり種の旅を紹介します。

 

僕が4年前に訪ねたのは、秋田県の大館市。なにを取材に行ったのかというと、「秋田犬(あきたいぬ)」です。大館市は、知る人ぞ知る秋田犬発祥の地なのです。なぜ、秋田犬? と問われれば、「気になったから」。

 

僕は犬が好きで(残念ながら飼ったことはありませんが)、なかでも秋田犬は以前から気になる存在でした。ネット上で「ブサかわ犬」として人気になり、映画にもなった秋田犬「わさお」。2012年、秋田県の佐竹敬久知事がロシアのプーチン大統領に贈った秋田犬「ゆめ」。2018年に平昌冬季五輪フィギュアスケート女子の金メダリスト、ロシアのアリーナ・ザギトワ選手に贈られた秋田犬「マサル」。そして、日本で最も有名な犬といっても過言ではない忠犬ハチ公も秋田犬。

 

世界に700~800種類いると言われる犬のなかで、ここ日本でダントツに注目度が高く、メディアにもよく登場するのが、秋田犬なのです。それはなぜ? ていうか、秋田犬ってそもそもどんな犬? ということが知りたくて、大館市にまで足を運びました。

ハチ公の故郷

大館駅について、すぐに気づきました。駅の構内にあるハチ公神社、駅前にはハチ公の銅像、路線バスの名前はハチ公号。大館市は、町をあげてハチ公を推しているのです。

 

ハチ公と言えば渋谷駅前の銅像というイメージが強いのですが、実は、ハチ公は大館市で生まれ。縁あって東京帝国大学農学部教授・上野英三郎博士にもらわれて、ハチ公と名付けれ、かわいがられました。成長し、上野博士の送り迎えをするようになったハチが博士の帰りを待つのが、渋谷駅。博士は勤務中に脳溢血で倒れ、急死してしまいましたが、ハチはもらわれた先からも渋谷駅に通い、いつまでも博士の帰りを待っていました。その姿がメディアに報じられて、「忠犬ハチ公」として知られるようになったのです。

 

駅前にあったハチ公像の解説によると、渋谷駅前のハチ公像は1934年に完成し、その除幕式にはハチ公自身も参加しました。生きているうちに銅像になるなんて、著名な政治家かハチ公ぐらいでしょう(笑)。このハチ公像はしかし、戦時中の1944年に金属類回収令で供出されたため、1948年に改めて現在の像が再建されました。一方、大館のハチ公像は1935年に完成したけど、同じく金属類回収令で供出。しばらくの間、台座だけが残されていて、1987年にハチ公が再建された時、もとの台座におさまったそう。

 

秋田犬の意外に深い歴史

秋田犬の歴史については、大館駅から車で10分弱のところにある秋田犬会館で知ることができます。この建物の、1、2階が公益社団法人秋田犬保存会のオフィスで、3階では秋田犬の歴史について詳しく記された資料や秋田犬の展覧会で受賞した歴代の名犬の写真などが展示されています。この時は、秋田犬保存会の副会長に話を聞ききました。

 

「江戸時代より以前から、この土地には大館犬という土着犬がいました。狩猟犬、番犬として生活をともにしてきたんです。でも、1630年代から始まった闘犬が明治、大正時代に盛んになり、強い犬を求めて交配するようになって、従来の大館犬が減ってしまった。そこで大正8年に史蹟名勝天然紀念物保存法(現在の文化財保護法の前身)が施行されたタイミングで、大館犬を天然記念物として保護しようということになったんです。その時、大館犬じゃネームバリューがないので『秋田犬』と名前を変え、1927年、当時の町長さんを中心に『秋田犬保存会』が設立されました」

秋田犬のルーツは、大館犬という事実に驚きです。この名前の変更が功を奏したのか、1931年、秋田犬は日本犬で最初の天然記念物に指定されました。

 

それから3年後、秋田犬保存会は独自の取り組みを始めました。それが「犬籍登録」。秋田犬を保護しつつ、増やしていくための方策で、秋田犬の子どもが生まれると3カ月以内に保存会に登録手続きをします。その際、正式に秋田犬として登録するには、その犬のおじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さんが秋田犬であるという情報が必要になります。これで秋田犬の血統を守るのです。

 

しかし、第二次世界大戦は秋田犬にも暗い影を落としました。毛皮用や食用に供出され、激減してしまったのです。この時、秋田犬保存会がわずかに残った秋田犬を繁殖させることでなんとか絶滅を免れました。ピーク時には約4万6000頭も登録されていましたが、現在は世界で約6500頭、日本では約2600頭ほどです。

 

ちなみに、秋田犬が初めて海外に渡ったのは1937年で、飼い主はなんと視覚と聴覚に障がいを抱えながら大学を卒業し、さまざまな社会活動にも影響を与えたヘレン・ケラー! ヘレン・ケラーも忠犬ハチ公のエピソードに感銘を受けたひとりで、1937年に来日した際に秋田犬を贈られて、アメリカに連れ帰ったそう。

僕が取材に行った時には、秋田犬会館の1階に秋田犬が3頭いて、にぎやかに迎えてくれました。秋田犬のふかふかした毛並みのように、意外に深い歴史を知ってから秋田犬を見ると、より愛らしく見えました。

 

2019年には大館駅の近くに大正時代の渋谷駅をモデルとして建てられた観光交流施設「秋田犬の里」も完成しました。秋田犬を間近で見られる展示室、秋田犬の歴史や特徴を説明するミュージアムなどがあるようです。秋田犬が気になった方はぜひ訪問してみてください!

 

稀人ハンターの旅はまだまだ続く――。

 

※大館市での取材は、2017年に行ったものです。

 

 

  • この記事を書いた人

川内 イオ

1979年、千葉生まれ。ジャンルを問わず「規格外の稀な人」を追う稀人ハンター。新卒で入社した広告代理店を9ヶ月で退職し、03年よりフリーライターに。06年、バルセロナに移住し、ライターをしながらラテンの生活に浸る。10年に帰国後、2誌の編集部を経て再びフリーランスに。現在は稀人ハンターとして多数のメディアに寄稿するほか、イベント企画も手掛ける。 『農業新時代 ネクストファーマーズの挑戦 (文春新書)』 『BREAK!「今」を突き破る仕事論(双葉社)』等、著書多数。 ホームページ:http://iokawauchi.com/

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