稀人ハンター川内イオの東奔西走記 連載シリーズ

温泉と清流の交互浴、おまけに「マイ河原温泉」。僕史上最高の湯処

皆さん、こんにちは! 常識に縛られず、驚くような発想と行動力で世間をアッと言わせる「規格外の稀な人」を追いかけている、稀人ハンターの川内です。

 

寒くなってくると、無性に行きたくなる場所、それが温泉。僕は温泉が大好きで、各地に取材に行く時には必ず、近隣に温泉がないかチェックしてしまいます。と言っても温泉マニアではないので、泉質や効能などの細かい情報にはあまり興味がありません。どちらかといえば広さとロケーション重視で、気持ちのいい景色を眺めながら、のびのびと温泉に浸かれたら、それでベリーハッピーです。

 

これまでいろいろな湯を楽しんできましたが、「絶対に忘れられないところをひとつ挙げよ」と言われたら、間違いなくここ! という温泉があります。今回は、とっておきのその温泉、「上湯温泉」についてご紹介します。

 

脱衣所からワクワクする温泉

上湯温泉があるのは、奈良県の十津川村。十津川村はたまにメディアに取り上げられるので、聞いたことがあるという方もいるかもしれません。西は和歌山県、東は三重県に接する奈良県の最南端に位置しています。その面積はなんと672.38キロ平方メートル! 日本一広い村として知られています。

 

広いだけでなく、「奈良の秘境」とも称される十津川村。電車が通っていないため、車かバイク、バスで行くしかありません(自転車でチャレンジしたい方は日程に余裕を持って計画してください)。

 

東京方面から向かう場合、最寄りの近鉄大和八木駅から十津川温泉までバスで約4時間半、もしくは和歌山の南紀白浜空港から車で2時間半。ちなみに、近鉄大和八木駅から十津川温泉を経由してJR新宮駅に向かうバスは、所要時間約6時間、距離166.9キロ、途中休憩が3回もある「日本一長い路線バス」と言われています。

 

十津川温泉から西へ約5キロ、山間を縫うように走る細い道路を進んでいくと、十津川村を流れる清流、上湯川の河川敷にある上湯温泉にたどり着きます。

日本には無数の温泉がありますが、脱衣所に入った瞬間にワクワクする温泉は珍しいと思います。最初に特筆すべきは、川に面した露天風呂の大きさ。幅約4メートル、長さ約15メートルあり、ちょっとしたプールレベルの広さがあります。屋根や視界を遮る手すりもないので、眼前には透明度の高い上湯川のせせらぎが!

 

さらに、湯船と河原をつなぐ階段がついていて、いつでも自由に河原に降りることができるのです。体がほてったら、ひんやり冷たい川の水に浸かる。源泉かけ流しの温泉と清流の交互浴、想像するだけで極楽気分! 

 

それだけじゃありません。上湯川の河原を少し掘ると、そこから湯気が……。そう、河原全体に温泉がいきわたっているのです。なので、ちょっと広めに穴を掘れば、そこはもう「マイ河原温泉」に早変わり。こんな温泉、ほかにあるでしょうか? 

 

ここまで読んで、「え、まさか混浴?」と感じた女性読者の方もいると思います。この露天風呂、実は男湯で、男湯の背後、一段高くなったところに女湯があるんです。なので、女湯から直接川に降りることはできないのですが、洞窟のなかにあるような雰囲気で趣がありますし、眺めも格別。ここの泉質はとろみが強く、肌がしっとりスベスベになると評判で、ヘビーユーザーの女性からは「温泉から出た後も化粧水がいらない」と聞きました。

村民のひとりが私費でリニューアル

この野趣溢れる上湯温泉、入湯料はワンコイン(500円)。なんでそんなに安いのかというと、十津川村出身のある人が私財を投げ打って作った私設温泉だからなんです。その人の名は、乾敏志さん。取材で話を聞いたら、ビックリするほどの稀人でした。

 

乾さんは釣りの名人で、鮎釣りの全国大会で3度の日本一に輝き、ついた異名は「十津川の川太郎」。子どもの頃は上湯川が遊び場で、身体が冷えたら河原に穴を掘って、即席温泉で体を温めていたと言います。

河原には村営風呂もあり、村民にとっても憩いの場だったそうですが、2011年の紀伊半島大水害で露天風呂の施設があらかた流されてしまって、閉鎖されてしまいました。

 

そこで立ち上がったのが、乾さん。建築会社の経営者でもある乾さんは、大水害から6年が経った頃、村営風呂を運営していた旅館に許可を取り、社員とともに2カ月かけて荒れ果てた施設をリニューアルしました。その費用は全額自費! 「女風呂は残っていた施設を活用したけど、男風呂は自分が入りたいように作った」と豪快に笑っていました。

 

2017年7月、上湯温泉が再びオープン。今では、村民はもちろん、全国から温泉好きが訪ねてきます。営業時間は9時から17時(木曜定休)で、乾さんは、毎朝7時に来て温泉の準備をした後に本業の仕事に向かい、夕方に仕事が終わってから温泉の片づけをして、ひと風呂浴びて帰るのが日課になっているそう。

 

大雨が降ると上湯川が増水して、浴槽が土砂に埋もれてしまう。そのたびに、乾さんは自ら重機を出して、土砂をかき出しています。毎日の管理や手間とコストを考えると入湯料金ワンコインでは割に合わない気もしますが、乾さんにとって「上湯温泉」は儲ける手段ではなく、「俺の風呂」をシェアしている感覚に近いようで、だから500円なのです。

 

景色、広さ、ほかにないエンタメ感、そして乾さんの存在。上湯温泉は僕史上最高の温泉だったので、必ずまた再訪します。

稀人ハンターの旅はまだまだ続く――。

 

※この取材は、2020年1月に行ったものです。

 

  • この記事を書いた人

川内 イオ

1979年、千葉生まれ。ジャンルを問わず「規格外の稀な人」を追う稀人ハンター。新卒で入社した広告代理店を9ヶ月で退職し、03年よりフリーライターに。06年、バルセロナに移住し、ライターをしながらラテンの生活に浸る。10年に帰国後、2誌の編集部を経て再びフリーランスに。現在は稀人ハンターとして多数のメディアに寄稿するほか、イベント企画も手掛ける。 『農業新時代 ネクストファーマーズの挑戦 (文春新書)』 『BREAK!「今」を突き破る仕事論(双葉社)』等、著書多数。 ホームページ:http://iokawauchi.com/

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