稀人ハンター川内イオの東奔西走記 連載シリーズ

寒い冬にキャンプはいかが? 「冬キャンプ」の火付け役、北軽井沢スウィートグラス

みなさん、こんにちは! 常識に捉われないアイデアと大胆な行動力を持つ「世界を明るく照らす稀な人」を追いかけて東奔西走、稀人ハンターの川内です。

 

東京は小春日和が続いています。公園の樹々は色づき始めていて、これぞ秋! という気持ちのいい日々を満喫しているけど、これからあっという間に冬になりますね。

 

読者の皆さんは、もう冬休みの予定を立てていますか? コロナ禍以来、世の中は「密」を避けてアウトドアがブームになっていますよね。ということで、今回は最大で年間10万人が足を運ぶ人気のキャンプ場「北軽井沢スウィートグラス」を紹介します! え? 冬にキャンプ場ってなぜ? と戸惑う方もいると思います。実はこのキャンプ場、「冬キャンプ」の火付け役なんです。

牧草地に作った不毛のキャンプ場

広々とした敷地でキャンプを楽しむ人たち

軽井沢駅から車で約30分。浅間山の中腹を南北に走る一本道を抜け、北軽井沢に入ると避暑地のリゾートから緑豊かな景色に変わります。そこに、アウトドア情報誌『GARVY』の読者が選ぶ人気キャンプ場ランキングで4度の日本一に輝くなど、キャンプ好きなら知らぬ人はいない北軽井沢スウィートグラスがあります。

 

小川が流れる3万坪の敷地には、10人宿泊できる大きなコテージ、ツリーハウスのキャビンなど50戸の多彩な宿泊施設と、102個のテントサイトがあります。お湯が出る炊事場、薪ボイラー式の家族風呂、ドッグランや商店を兼ねたカフェなども備えるほか、子どもの遊び場も充実していて、僕が取材に行ったのは9月中頃の平日だったにもかかわらず、家族連れから若者グループまで幅広い客層が利用していました。

 

スウィートグラスにはたくさんの樹が生えていて、深呼吸したくなる景色が広がっています。一見、山深い森の中を切り開いて作られた場所にも見えるんですが、実際はその逆。キャンプ場が開かれた1994年以来、同施設を運営する「有限会社きたもっく」創業者の福嶋誠さんが、不毛の荒野にこつこつと3000本の樹を植えることから始まった手作りの景観なのです。

 

北軽井沢出身の福嶋さんは1990年、39歳の時に東京で経営していた印刷会社を手放して、Uターンしました。そして父親が経営していた不動産業を継ぎ1994年、もともと父親が所有していた浅間山の麓にある3万坪の牧草地に手を入れて始めたのが北軽井沢スウィートグラスです。

浅間山は1108年と1783年に大噴火を起こしており、麓の土壌は火山礫、灰、小石で分厚い層になっています。酸性土壌で保水性も低いため、牧草でさえもほかの土地に比べると3分の1程度しか育たず、使い道がなくてキャンプ場にしたそうです。

 

開業当初は草が生えているだけの広大な空き地で、目の前に迫力ある浅間山がハッキリと見渡せました。その雄大な景色を楽しんでほしいと思ったものの、想像以上にお客さんが来ませんでした。そこで、景観を作ろうとグランドデザインを描いて樹を植え始めるも、土壌の影響で瞬く間に枯れてしまいました。本を読んだり、人に聞いたりしながら植樹しても、植木屋さんに頼んでも、ぜんぶ枯れます。それでもお客さんを呼ばないと食っていけないので、社内スタッフで「北欧ログキャビン」を5棟建てるなど、施設を少しずつ拡充させたことで、客数は増え始めていきました。

人の心が弾む瞬間を作る

3000本植樹して森を作った福嶋さん

試行錯誤していた福嶋さんの転機になったのは2000年、、アメリカのオートキャンプ場団体の招待で、同業者とともに現地のキャンプ場へ視察に行ったこと。

当時の日本のキャンプ場は、ボーイスカウトのような教育キャンプの意味合いが非常に強くて、設備の整っていない環境に耐えるのが当たり前でした。そのハードルを下げないとビジネスとしてのアウトドア業界は定着しないというのは、一緒に行った人たちの共通認識でしたね。キャンプ場に来たお客さんが少しでも長い時間フィールドにいられるように考えなきゃいけないと実感しました

教育キャンプが耐え忍ぶ訓練だとすれば、スウィートグラスはその対極にある、人の心が弾む瞬間を作ることに注力しました。例えば、子どもたちが2チームに分かれ、水鉄砲で相手の的を狙う「ウォーターバトル」、ネイチャーガイドの案内で夜の森を探検する「夜の森スターライトウォーク」など、当時、ほかのキャンプ場では珍しかったエンターテインメント性の高いイベントを導入したのです。福嶋さんが「アウトドア系ディズニーランド」と呼ぶこの策は、売り上げが大きく伸びるきっかけになりました。

スウィートグラスに「躍動」が生まれるのと時を同じくして、まさかの出来事が起きます。その頃、まだ植林がうまくいかず、破れかぶれになった福嶋さんが、もうどうにでもなれ! と手元にあった複数の樹木をまとめて1カ所に植えたところ、なぜかうまく根付いたのです。この「混植」に成功すると、福嶋さんは不毛の大地にひたすら樹を植えていきました。そうするうちに、少しずつ「森」ができ始めました。

 

「お客さんが少しでも長い時間フィールドにいられる場」は、「居心地のいい場所」でもあります。増えていく樹々が木陰を作り、そよ風を呼び込むようになるとその場に「潤い」が生まれ、エンターテインメント以外の魅力も高まっていきました。そして2005年、スタッフの手で宿泊できるツリーハウスを作り始めると、これが大ヒット。2010年には売り上げがおよそ1億円に達し、アメリカ視察に行った10年前から倍増しました。

フィンランド語の企業理念

子どもたちに大人気のツリーハウス

経営が軌道に乗ったところで、福嶋さんはひとつの決断をしました。

 

「ルオム―自然に従う生き方―」を企業理念に定めたのです。

 

これは、2004年9月の浅間山の噴火が影響しています。この時、福嶋さんの頭をよぎったのは経営のことではなく、「せっかく定着した樹が、またぜんぶ枯れるのか?」でした。不毛の地に森を作ったことで周囲から評価され、「自分は環境にいいことをしている」と自負していた福嶋さんは、1度の噴火で自分の努力が無に帰すという事実を突きつけられて、ひどく困惑したそうです。

 

そして、1108年と1783年に大噴火を起こした浅間山が、そのたびに麓を「ゼロ」にしてきたことを考えれば、いつ3度目が来て、振り出しに戻る日が来てもおかしくないと実感しました。

それでも、俺は生まれ故郷で生きていく。さらに樹を植え、森を作っていく。そのためにはなにか指針が必要だ、それはなんだ?

何年も考え続け、2009年に出会ったのが、フィンランド語の「ルオム(自然に従う生き方)」。

 

「日本国籍を持つフィンランド人、ツルネン・マルティさんから教わったんですよ。自分の想いをどう表現していいかわからないっていう話をしたら、フィンランドにあるよって。フィンランドでは、オーガニック製品の認証にもルオムが使われているぐらいよく使われている言葉と聞いて、うちの会社にピッタリだと思ったんです」

 

「ルオム―自然に従う生き方―」という言葉に出会ったことで、福嶋さんのなかでやるべきことが明確になりました。

北軽井沢の冬を楽しんでもらおう!という逆転の発想

オープンした時に建てたキャビン

迎えた2012年の冬、それまで全国どこのキャンプ場でもやっていなかった「冬キャンプ」を始めます。それまではゴールデンウイークと夏休みにお客さんが集中し、9月に入ると閑古鳥が鳴く状況でした。毎年、最盛期に備えてたくさんのアルバイトを雇って夏が過ぎるたびにゼロに戻る状態では、イベント会社と変わりません。

 

また、夏に蓄えた利益をキャンプ場が閉鎖する冬場に使わざるをえないのも、歯がゆかったそうです。スウィートグラスをさらに成長させるためには、通年営業して社員を雇い、育てることが必要だと判断したのです。

 

冬キャンプを始める前にすべてのコテージ、キャビンに薪ストーブを設置。この薪ストーブの炎がお客さんの心を捉えると信じていました。

外がマイナス20度になっても、部屋のなかに薪ストーブがあって、部屋が暖かくなっているとものすごく幸せなんですよ。それはもう、子どもの頃から知ってますから。薪ストーブでお餅なんかを焼いて食べると、格別にうまいわけですよね。そういう北軽井沢の冬の豊かさ、楽しさがあるんだから、それを作り出せば喜んでもらえると思っていました

2012年の冬、「365日楽しめる北軽井沢」をキャッチコピーに冬の営業を開始。ふたを開けてみると、驚くほどたくさんのお客さんがやってきました。なかには、薪ストーブのあるコテージやキャビンに泊まらず、キャンプサイトでテントを立てて泊まる人たちも現れました。

 

寒さが厳しいし雪も降るからキャンプ場に人が来なくて当たり前、ではなく、北軽井沢の冬を楽しんでもらおう! という逆転の発想でこれまで日本に存在しなかった「冬キャンプ」のマーケットを切り開いた福嶋さん。埋もれていたニーズを掘り起こすって、こういうことなんだなと思いました。

 

北軽井沢の森のなか、ツリーハウスで薪ストーブにあたりながらの冬キャンプ……魅力的じゃないですか? 窓から雪景色を眺めながら、ずっと薪ストーブの前にいることになるかもしれませんが、そういう休日もまた非日常で楽しそう! 今年の冬は北軽井沢もありだな! と思っています。

地元の木材を使った大規模棟

ACCESS

北軽井沢スウィートグラス

群馬県吾妻郡長野原町北軽井沢1990-579

https://sweetgrass.jp/

 

 

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  • この記事を書いた人

川内 イオ

1979年、千葉生まれ。ジャンルを問わず「規格外の稀な人」を追う稀人ハンター。新卒で入社した広告代理店を9ヶ月で退職し、03年よりフリーライターに。06年、バルセロナに移住し、ライターをしながらラテンの生活に浸る。10年に帰国後、2誌の編集部を経て再びフリーランスに。現在は稀人ハンターとして多数のメディアに寄稿するほか、イベント企画も手掛ける。 『農業新時代 ネクストファーマーズの挑戦 (文春新書)』 『BREAK!「今」を突き破る仕事論(双葉社)』等、著書多数。 ホームページ:http://iokawauchi.com/

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