稀人ハンター川内イオの東奔西走記 連載シリーズ

老舗温泉宿からネオ温泉宿へ。和多屋別荘3代目の挑戦

みなさん、こんにちは!

常識に捉われないアイデアと大胆な行動力を持つ「世界を明るく照らす稀な人」を追いかけて東奔西走、稀人ハンターの川内です。

 

9月19日から10月2日にかけて、インドまで取材に行っていました。旅立つ前はまだ夏の気配が色濃く残っていたのに、帰国したらもうすっかり秋になっていました。

 

インドではずっとシャワー生活だったこともありますが、秋の空気を感じたら急に恋しくなってきたのが温泉。これから冬を経て春まで、温泉がとっーーーーても気持ちいい季節ですよね。あー、足を伸ばして顎まで湯につかりたい……。

 

ということで、今回は温泉のなかでもとてもユニークな存在、佐賀・嬉野温泉の和多屋別荘を紹介しようと思います。

ピエール・エルメの常設店がある日本唯一の温泉宿

2万坪の敷地に120を超える客室を持つ和多屋別荘は、過去には昭和天皇、皇后両陛下なども宿泊した創業72年の老舗です。

 

ここの1階には、温泉宿とは思えない景色が広がっています。広々として日当たりのいいラウンジの片隅はポップアップショップ用のスペースになっていて、僕が取材に訪れた今年4月には、手触りが抜群に良い東京のアパレルブランドのセーターやカーディガンが売られていました。

 

さらに歩みを進めると、世界的なパティシエ、ピエール・エルメの常設店「Made in ピエール・エルメ 和多屋別荘」があり、ショーケースにはカラフルなマカロンが並んでいます。

その先の通路には、銀座に本店を構えるお線香、お香の大手メーカー、日本香堂初のポップアップショップ。その向かい側の広大なスペースには、東京・六本木の“入場料のある書店”文喫を運営する日本出版販売とコラボした、1万冊の蔵書とお茶を楽しめる書店「三服」が!

注目すべきは、同じフロアに嬉野の茶農家、副島園の本店があり、佐賀市にアトリエを構えるショコラティエ、副島圭美さんのチョコレート専門店「8cacao」、佐賀県産の食品・食材・飲料をセレクトしたデリカテッセンも併設されていること。

 

東京でも集客力がありそうなショップを誘致するだけじゃなく、地元の生産者や職人、食材や名産品にも光を当ているのです。そうそう、副島園の本店にはカフェが併設されていて、お茶を飲みながらピエール・エルメの限定マカロンを味わうこともできるんですよ!

和多屋別荘内の食事処でも、徹底的に佐賀と嬉野にこだわっています。地元の瀬頭酒造ときたの茶園が組む日本料理店、佐賀県有田の窯元「李荘窯」の器や、嬉野で作られる肥前吉田焼の窯元「224porcelain」の器を活かしたレストラン、鎌倉の創作和菓子店の人気作家と嬉野の田中製茶工場、李荘窯とコラボした和菓子懐石など、ローカル色の強さが際立っているのです。

温泉宿にサテライトオフィス

これは「旅館を『泊まる』場所から『通う』場所へ」というコンセプトで進められている「Reborn Wataya Project」の一環で、地元住民やほかの宿に泊まる旅行客も利用できるのが特徴です。つまり、町に開かれているのです。

 

イメージとしては、温泉宿の1階にだけおしゃれな百貨店が入っているイメージ。セレクトされた質のいいモノが揃っていて、歩いているだけで楽しいんです。僕が取材に行った時も、宿泊客ではなさそうな家族連れや女性のグループがにこやかにお店を巡っていました。

「泊まらなくてもいいから、通ってほしい」というこれまでにないコンセプトを打ち出したのは、和多屋別荘3代目の小原嘉元さん。

 

小原さんは、ほかにも斬新なアイデアで注目を浴びています。2020年4月より、宿の部屋の一部をオフィス向けに改装して企業の誘致を開始。現在、東京など都心に本社を置く5社がサテライトオフィスとして利用しているのです。

 

このオフィスを見学させてもらったのですが、よくある温泉宿の和室をちょろっとビジネス仕様に改装したものを想像していた僕は、フライング土下座したくなりました。とんでもなくおしゃれ、しかも快適そうで、一瞬で「ここで仕事したい!」と思いました。

 

小原さんはさらに今年4月、建築家の黒川紀章がデザインしたタワー棟に、「Onsen Incubation Center(OIC)」を設立しました。スタートアップ支援を目的とした施設で、現在、嬉野に縁のある3社が拠点を置いています。

 

ちなみに、OICのスタートアップも含めて入居企業は温泉に入り放題! コロナ禍でリモートワークが浸透した今、広々とした温泉に入り放題のおしゃれオフィスで働くって、すごく魅力的だと感じませんか?

 

次々と改革の手を打つ小原さんは地方創生のキーマンとして注目を集めていて、昨年には700組の視察を受け入れたそう。いかにも敏腕ビジネスパーソンという感じだけど、若かりし頃は親から「勘当」されたこともある問題児だったというから驚きです。ここからは少し、小原さんの足跡を振り返りましょう。

父親から「出て行ってくれ」と言われた日

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1977年に長男として生まれた小原さんは、幼少期から貴族のような生活をしていました。およそ200人の従業員から「おぼっちゃん」と呼ばれ、プール、テニスコート5面、ゲームセンターなどを備えた2万坪の敷地を庭だと思って育ったのです。

 

高校卒業後は専修大学に進み、都内でなにひとつ不自由なくひとり暮らしを始めたものの、大学3年生の時、「なんとなくイヤになって」退学。そのまま和多屋別荘の社員になり、「旅館の仕事はダサいからイヤだ」と実家が営業所として購入した福岡のマンションに転がり込みました。

 

仕事は、和多屋別荘のウェブ制作やデザイン。同じ頃に勤めていた会社を辞めて同居するようになった姉と一緒に始めたもので、専門知識などないから、見よう見まねに過ぎませんでした。それでも給料30万円をもらいながら、「こんなんじゃ生活できんわ」と不満を垂れていたそうです。

 

想定外だったのは、和多屋別荘の経営が急速に傾き始めたこと。嬉野では200人いた従業員の4分の1を解雇するほど逼迫していて、小原さんが働き始めてわずか2年で、住居としても使っていた福岡事務所も閉じられました。

 

住まいを奪われたことに腹を立てた小原さんは実家に戻り、姉と一緒に父親のもとへ向かいました。そして、本館と橋でつながっている離れの宿、水明荘を「自分たちにくれ。気の利かない社員しかいないだろうから社員も選ばせてもらうし、いなかったら雇うよ」と言い放ちます。

 

その場に同席していたのが、当時、和多屋別荘のコンサルタントをしていたK氏。小原さんの言葉を黙って聞いていたK氏は、父親にこう進言しました。

 

「会社を取るのか、異分子を切るのか選んでください」

 

その瞬間、小原さんは失笑しました。胸のうちで「あんた、なに考えとると? 息子って知っとるとよね?」とバカにしました。

 

その1週間後、父親から伝えられました。

 

「会社を取るから、出ていってくれ」

父親に譲ってほしいと頼んで断られた水明荘

これは青天の霹靂で、小原さんは怒り心頭で和多屋別荘から飛び出しました。

「もう親じゃない、この人とは死ぬまで会わないと思いましたよね。その時は、もう嬉野に帰るつもりもなく出ていきました」

「ひょっとしたら、人生踏み外してんのかな」

小原さんと姉が向かったのは、母親が住んでいた博多のマンション。2000年、そこから徒歩1分の場所に小さなワンルームを借り、姉と一緒にIT企業を設立してホームページやチラシの製作、ネットショップの運営を始めました。しかし、技術も営業力なく、貯金は減る一方。あっという間に生活が苦しくなりました。

 

それを見かねた母親から、父親と顔を合わせるように言われたのは2003年。母親から説得され、姉とともに渋々再会すると、その頃すでに経営を立て直していた父親は、小原さんに「経営の勉強しにKさんのところに行け」と言いました。Kさんとは「異分子を切れ」と父親に迫った例のコンサルタントで、「あり得ない」と呆れた小原さんは席を立ちました。

 

その日の夜、姉から真剣な顔で「多分、行った方がいい」と言われ、小原さんは初めてそれまでの人生を省みたそうです。

 

「ひょっとしたら、人生踏み外してんのかな」

 

小原さんは考えを改め、旅館の再生事業を手掛けてKさんのもとを訪ね、無給で働き始めました。その後、やむを得ない事情があり、1年で修行を終えて独立。すると、自分と同じようなドラ息子、ダメ娘の存在がクライアントの経営を圧迫している事例が多いことに気づき、次々と経営の再建に成功します。その数、10年間で70軒に及びました。

 

この実績を買われて2013年、35歳の時、再び経営危機に陥った和多屋別荘の社長に就任します。当時、借金は十数億円、各所への未払い金が3億5600万円あり、小原さんは「いつ潰れてもおかしくない」と考えていたそうです。しかし土俵際で踏ん張り、2015年11月に未払金を完済すると、見事にV字回復を遂げました。

コロナ禍の閃き

その後、小原さんは宿の外に視野を向けるようになり、嬉野の名物である嬉野茶を育てる茶園主たちとコラボしてイベントを仕掛け始めます。それが人気となったのがきっかけで、宿の外での付き合いが拡がっていきました。

 

こうして充実した日々を過ごしていた時、新型コロナウイルスのパンデミックが直撃。宿の経営が危ぶまれる事態に陥った時、小原さんはこう考えたそうです。

 

「温泉、嬉野茶、肥前吉田焼が嬉野の普遍的な強み。この3つが嬉野のすべての源で、我々はこの上で生かされている。その豊かな土地に2万坪の土地と建物があるのだから、利用者を1泊2日の旅行客に絞らず、ひとつの不動産と見立てて、幅広く有効活用しよう」

 

この発想の転換によって、旅館を「『泊まる』場所から『通う』場所へ」と生まれ変わらせる「Reborn Wataya Project」が始まりました。

 

小原さんは将来的に、現在16ある飲食店やショップを20軒から30軒まで増やし、サテライトオフィスとして利用する企業を10社から15社誘致して、宿の従業員以外に常時100人前後が和多屋別荘内で働いているような状況を目指すそうです。

 

また、かつて宴会が催されていたような広い部屋はギャラリーや劇場などのアートスペース、ヨガ、トレーニングジムなどのスタジオ、イベントスペースとして貸し出すことも想定しているとか。

 

老舗の温泉宿が、ネオ温泉宿に。

これからどう変化していくのか、再訪するのが楽しみです。

 

稀人ハンターの旅はまだまだ続く――。

館内の足湯場

ACCESS

嬉野温泉 和多屋別荘

〒843-0301 佐賀県嬉野市嬉野町下宿乙738
https://wataya.co.jp/

福岡空港より車で約1時間30分
佐賀空港より車で約1時間
長崎自動車道 嬉野ICより約7分

 

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  • この記事を書いた人

川内 イオ

1979年、千葉生まれ。ジャンルを問わず「規格外の稀な人」を追う稀人ハンター。新卒で入社した広告代理店を9ヶ月で退職し、03年よりフリーライターに。06年、バルセロナに移住し、ライターをしながらラテンの生活に浸る。10年に帰国後、2誌の編集部を経て再びフリーランスに。現在は稀人ハンターとして多数のメディアに寄稿するほか、イベント企画も手掛ける。 『農業新時代 ネクストファーマーズの挑戦 (文春新書)』 『BREAK!「今」を突き破る仕事論(双葉社)』等、著書多数。 ホームページ:http://iokawauchi.com/

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