フォトグラファー武藤奈緒美の「みる」日々 連載シリーズ

見るの先を考える

こんにちは。フォトグラファーのむーちょこと、武藤奈緒美です。

この原稿を書いている現在、前回紹介した「ご当地落語プロジェクト」の旅を終え、その足で雑誌の取材のため南三陸と塩釜に赴き帰京したところです。
約2週間で、山形、福島、宮城をめぐったことになります。この旅に出る直前には、岩手アカモク生産協同組合さんの撮影を受注していたので、ずいぶんと東北づいた日々を過ごしました。

今回参加したご当地落語プロジェクトでは、現地の人たちにその土地の話を聞く時間がたっぷり設けられていて、そこで暮らす人がいるかぎり物語のない土地なんてない、ということを実感しました。また皆さんご自身の暮らす土地のことをよくご存知で、果たして自分が故郷の話を聞かせてくれと言われたとして、どれだけのことを話せるだろうと考えもしました。

故郷も、故郷よりも長く住んでいる今の場所も実のところよくわかっていないことに気づいてみると、結局は単に住所でしかないに等しいのかもしれません。長い歴史を経てきたその地べたの上をほんのいっとき撫でているだけにすぎない、とでも言いましょうか。
そこがどんな歴史をもちどう歩んできたのかを掘り下げ身体の中に取り込むことでようやく、自らとその場所とが接続し、単に撫でるだけの存在ではなくなってそこの歴史の一端に連なることになる、と言えるのではないか。
インターネットで検索しても簡単には出てこないような土地の話を聞くうちに、単に知っているというだけではない次元を教えてもらった気がしています。これまでの自分は知ることだけにやたらこだわっていたんだな、知るところで留まっていたんだなと、これまでの姿勢まで浮き彫りになりました。

中学の頃、学校近くにある横穴遺跡をクラスメイトと一緒に自由研究の題材にしたことがありました。ここは住宅造成地にする過程で発見された遺跡で、近くに古墳があることからここに身分の上下関係が発生していたことが想像できます。となるとそこには集落が発生していたわけで・・・と、目に見えている状況を元に資料などを調べ、時代をさかのぼりながら類推を重ねていくという作業をしたのを思い出しました。

過去の自分はそういうことをやっていたわけです。知って掘り下げるということをしていたんだなと。「横穴遺跡が出てきたんだ、へえー」でおしまいにしない好奇心というか執着というか・・・いや、題材がなかなか見当たらなく、たまたま出てきた横穴遺跡に飛びついて、これでなんとか乗り切るしかないと切羽詰まった気持ちで取り組んだんじゃなかったか。なんにせよ、好奇心だか焦りだかにいざなわれ、中2の夏休みをその研究に捧げるくらいには行動したわけです。結果、市の自由研究発表で優良賞をいただくおまけ付きでした。

フォトグラファーとしてあちこちに赴くと、その土地のことを事前に知っているということは現場でけっこう役に立ち、コミュニケーションのきっかけになります。取材相手も興味を持ってくれているんだなと安心してくれる節があります。例えばわたしの場合その土地で作られるものが好きなので、米沢に行くとなったら新田さんの紅花染めの織物が素敵だとかそういうことはすらすらと出てくる。でもそこ止まりになっている。単なる情報や好奇心で終わらない、もっと血が通った何かを知る必要がある。

今回の旅で直面したのはそこでした。見るだけ好奇心があるだけじゃ太刀打ちできない奥にある何か・・・何と形容していいかまだわからないのですが・・・に遭遇したというか。歯切れが悪いのはまだ全然消化しきれる段階ではないからなのですが、書き留めておかないとわたしはすぐに忘れてしまって、糸の切れた凧みたいに再び好奇心だけを原動力として飛んで行ってしまうのが予見されます。

見て何かしらを感じて写真を撮るということをずっとやってきました。でもその「何かしら」が何なのか、自分の中のどこにどう作用したのかまでは、思えばちゃんと掘り下げてはきませんでした。感じたという事実が大事で、何を感じたのかは置き去りにしてきた。瞬間を撮るという行為に頼りきり、その瞬間が何なのかを分解してこなかった。その写真を見る人が好き勝手に分解してくれればいいと、委ねてきました。これはこういう気持ちで撮りました、といちいち説明するのは野暮だと思ってきましたが、自分に対しても説明つけてこなかった。それは冒頭で書いた「ほんのいっとき撫でているだけにすぎない」と同じことです。

とはいえこの商売、感じなくなったらおしまいだと考えているので、やっぱりこれからも何かを感じた瞬間を連ねていくのだろうと思います。そこに、撮った瞬間を分解してみるという作業を加えて、癖づけていきたい。
年度末に課題が加わりました。おそらくひとりでは見つけられなかった課題です。旅を共にした人たち、旅先で出逢った人たちに導いてもらいました。コロナ禍がまだ収まりきってない状況にあって、人との関わり合いで得られたことを、しっかり心に留めていきます。

 

  • この記事を書いた人

武藤 奈緒美

1973年茨城県日立市生まれ。 國學院大學文学部卒業後、スタジオやフリーのアシスタントを経て独立。 広告、書籍、雑誌、パンフレット、web等で活動中。 自然な写真を撮ることが信条です。 ここ10年程で落語などの伝統芸能、着物の撮影を頻繁にやっております。 移動そのものが好きで、その土地その土地の食べ物や文化に関心が強く、声がかかればどこにでも出かけ撮っています。 趣味は読書、落語や演劇鑑賞、歴史探訪。 民俗学や日本の手仕事がここ数年の関心事項です。 撮影を担当した書籍に「柳家喬太郎のヨーロッパ落語道中記」(フィルムアート社)、「さん喬一門本」(秀和システム)、「かぼちゃを塩で煮る」(絵と文 牧野伊三夫 幻冬舎)、「落語家と楽しむ男着物」(河出書房新社)など。[HP むーちょで候。]http://www.mu-cyo.com

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