稀人ハンター川内イオの東奔西走記 連載シリーズ

春になったら絶景広がる「黄金の馬」の牧場へ

みなさん、こんにちは! 常識に捉われないアイデアと大胆な行動力を持つ「世界を明るく照らす稀な人」を追いかけて東奔西走、稀人ハンターの川内です。

 

僕が住む東京もついに、冬本番! 本格的な雪が降るほどではありませんが気温は一桁台が続き、ここのところ外に出るたびに「うう、さむいっ」と身を縮こまらせて過ごしています(雪国在住の方には笑われそうですね)。

凍えるような冬の真っただ中には、春が待ち遠しくなるもの。今回は、暖かくなったらぜひ訪ねてほしい場所を紹介します。

その場所は、青森県八戸市にあるアハルテケ長谷川牧場。世界におよそ3000頭しか存在しないアハルテケという稀少種の馬を飼育、繁殖している日本唯一の牧場です。

歴史上の名馬もアハルテケ

シャンパンゴールドと評される毛並み

アハルテケは中央アジアに位置するトルクメニスタンの原産で、現存する最古の馬の種と言われています。シルクのように艶やかで光り輝くような毛並みが特徴で、人呼んで「黄金の馬」。身体能力も高く、抜群のスピードと持久力を併せ持ち、歴史上の名馬、アレキサンダー大王が乗った「ブケファロス」や三国志に登場する「赤兎馬」もアハルテケだったと推測されています。

 

アハルテケ長谷川牧場のオーナーは、長谷川百合子さん。彼女が「ここの景色と広さに惹かれて、この牧場に決めたんです。アハルテケを放すと、ダーッと走り回るんですよ。ここは傾斜しているから馬の足腰にもいい。本当に理想的なところだと思います」と話す牧場は、とんでもなく気持ちのいい場所でした。

 

どこからどこまでが敷地なのか一目で見渡せないほど広大な牧場は、一面グリーンの芝で覆われています。その先に広がるのは太平洋の青い海。自分が日本にいることを忘れるような風景で、ここで暮らす馬たちは幸せだなと思いました。

 

この場所はもともとサラブレッドを繁殖する牧場として60年ほど前に開かれ、1990年代に廃業した後、そのまま取り残されていたそう。草木が生い茂り、荒れ地になっていたその牧場跡を長谷川さんが整備したと言います。

 

東京出身で青森にも八戸にも縁もゆかりもなかった長谷川さんは今、この牧場で12頭のアハルテケとともに生活しています。そこには人と馬の運命的な出会いがありました。

50歳から乗馬をスタート

長谷川さんが馬と触れ合うようになったのは、今からおよそ20年前でした。

 

「50歳の時に体調を崩して、お医者さんから『運動してください』と言われたんです。それで通い始めたスポーツジムに乗馬クラブのチラシがあって、乗馬は運動になると書かれていました。私は運動が苦手だから、『そうか、馬に乗ればいいんだ!』と思って入会しました」

 

乗馬クラブに通い始めてからあっという間に夢中になり、競技会にも出場するように。55、56歳の時に競技会デビューしたというから、その間によほど腕を磨いたのでしょう。ただ、競技会に出てみると、その会場にいる馬たちがあまり楽しそうに見えなかったそうで、「もっと馬が幸せに過ごせる場所が欲しい」と感じたそう。

 

思い立ったら走り出してしまう長谷川さんは、「それなら自分で作ればいい」と方々を駆け回り、2008年に「NPO法人 馬文化浸透委員会」を設立。翌年には、引退した競走馬などを引き取り、鞭や拍車(ブーツのかかと部分に装着する金属製の道具)に頼らないことを心がけた馬にやさしい乗馬クラブ「浜松ホースランド」を、自宅のある浜松で立ち上げ、小さな子どもから高齢者まで100名を超える会員が集まりました。

 

しかし、馬場が海沿いにあったことから、2011年3月の東日本大震災をきっかけに会員数が徐々に減少。2016年にはクラブを閉めることを決断し、その準備を進めながら、長谷川さんはロシアとエストニアに旅立ちます。

 

「年も年だし、乗馬クラブをやめた後は馬とともに余生を過ごそうと考えていました。その前に、アハルテケに会いに行こうと思ったんです。乗馬クラブを始めて3、4年した時にアハルテケの存在を知ってから、私にとっては『夢の馬』でしたから、どうしても見てみたかったんですよ」

人生を変えた「夢の馬」

アハルテケの写真集からもその美しさが伝わる

この2週間の旅が、長谷川さんの人生を変えます。モスクワの空港から700キロほど離れたところにある牧場で初めてアハルテケを前にした時、ずっと恋焦がれていた人に巡り合えたように胸が高鳴った長谷川さんは、その牧場にいたアハルテケの一頭を購入したいと申し出ます。思い付きで気軽に変えるような価格ではありませんでしたが、微塵も迷いはなかったと振り返ります。

 

ここからが大変でした。馬を輸入するのに必要な厳しい検疫で引っかかり、一目惚れした馬は日本に渡って来れなくなりました。やむなく別の馬を選ぶことになるのですが、その過程で「衛生管理が行き届いた日本でアハルテケを繁殖したらどうか?」という話が持ち上がります。

 

先述したように、アハルテケは世界に約3000頭しかいない希少種で、アハルテケの血統を管理する団体を中心に、ほかの品種との交配を避けながら純血種を増やす取り組みが行われています。アハルテケに惚れ込んだ長谷川さんは快諾し、日本での繁殖に挑むことを決めました。

 

同時進行で、牧場探しにも着手します。北海道から種子島まで全国を飛び回り、ようやく見つけたのが30年弱も放置されていた八戸の牧場跡でした。

 

「私がここを見に来た時はすごく荒れていて、草木が茂っていました。圃場もどこにあるかわからなくて、馬房の屋根がちょっと見えるぐらいだったんですよ。でも海を臨むこの景観が気に入って、ここにしようと決めました」

光り輝く毛並みに見惚れて

この景色に惚れ込んだというオーナーの長谷川さん

2018年、長谷川さんが浜松ホースランド時代に飼っていた馬と5頭のアハルテケ、総勢18頭の馬で牧場がオープンしました。

 

長谷川さんとスタッフの努力が実り、2019年の夏にはアハルテケの子どもが2頭生まれ、さらに2020年には3頭生まれました。後から輸入した馬たちを加えて現在は12頭が牧場で過ごしています。長谷川さんの取り組みはアハルテケの原産国、トルクメニスタンからも注目を集めていて、2022年5月にはトルクメニスタンの駐日特命全権大使が牧場の視察に訪れています。

 

長谷川さんは「黄金の馬」の美しさをたくさんの人に知ってもらいたいという想いから、牧場でアハルテケの見学を受け入れています(一般公開はしていないので、要問い合わせ)。アハルテケは非常に繊細なので乗馬はできないのですが、サラブレッドなどほかの馬でトレッキングをしたり、乗馬レッスンを受けることも可能です。

 

昨年11月の取材の際、馬房にいるアハルテケを見学させてもらいました。アハルテケの光沢は「光り輝く」という表現がぴったり。陽の光に照らされたその姿はまさに「黄金の馬」で、何度もため息が出るほど美しく、「高貴」という言葉が頭に浮かびました。

 

ところが、長谷川さんによると暖かくなってから体を洗い、毛並みを整えた春のアハルテケの輝きは、寒さで身体を洗えない冬の時期と比べると桁違いとのこと。11月の時点で見惚れるほど美しかったので、春になったらどれほどなのか、気になって仕方ありません。

タフで賢く、美しく

トレーニング中のアハルテケ

人間界には「天は二物を与えず」という言葉がありますが、アハルテケは身体能力も優れています。そのうえとても賢く、馬のことをよく知る人はみな感嘆するそう。

 

「しっかりと自分の意志を持っていて、意に沿わないことをしようとするとテコでも動きません。運動させようと思って私が馬房に呼びに行っても、気が乗らない時には隅の方に隠れていたりします(笑)。だから頑固だとか扱いづらいと言われることもあるんですけど、アハルテケは本当に人間との結びつきを深く感じさせてくれる馬だと思います。放牧している時、もう帰るよって声をかけると駆け寄ってくるんですよ」

 

長谷川さんに馬房を案内してもらった時、一頭、一頭の名前を呼び優しく撫でる姿を見て、溢れるような愛情を感じました。また、それに応えるように長谷川さんに鼻を寄せるアハルテケから、確かな信頼が見えました。

 

「私にとって子どもみたいなものですね」と語る長谷川さんの目標は、あと10年で30頭。群れを成す黄金の馬が広大な牧場を駆け巡る姿を想像すると、ドキドキが止まりません。

 

なにはともあれ、暖かくなったら家族で再訪したいと思います。

撮影にも協力的でした

稀人ハンターの旅はまだまだ続く――。

ACCESS

info@akhalteke.jp まで要問い合わせ

http://akhalteke.jp/

 

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  • この記事を書いた人

川内 イオ

1979年、千葉生まれ。ジャンルを問わず「規格外の稀な人」を追う稀人ハンター。新卒で入社した広告代理店を9ヶ月で退職し、03年よりフリーライターに。06年、バルセロナに移住し、ライターをしながらラテンの生活に浸る。10年に帰国後、2誌の編集部を経て再びフリーランスに。現在は稀人ハンターとして多数のメディアに寄稿するほか、イベント企画も手掛ける。 『農業新時代 ネクストファーマーズの挑戦 (文春新書)』 『BREAK!「今」を突き破る仕事論(双葉社)』等、著書多数。 ホームページ:http://iokawauchi.com/

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